天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

コミック短歌(9/12)

小学館から

コミック短歌として
以下では、穂村弘の歌に限って、その特徴を別の観点から分析しよう。穂村の履歴には、絵本の翻訳や童話制作などがあり、それが彼の短歌の内容に反映している。特徴を要約して、大人の童話風短歌あるいはコミック短歌と称したい。
■一首の中の表記、句読点、括弧、記号、ルビなどが意味するもの。
革新的工夫がある。歌集『手紙魔まみ・夏の引越し』から。
  十月よ。ブラッドベリに日本のつけもの(tsukemono)たち
  を送ってあげる
この場合の括弧内は発音しない、英語での発音の注釈を示す。ブラッドベリは米国のSF・ファンタジー作家。
  正午にはお部屋の鍵を回してた/午前と午後に手紙を書いた
「/」は通常、改行を意味する。しかし改行してしまうと短歌一首ではなく、二行の散文ととられる恐れがあるので、それを避けたのであろう。
  発熱の夜のゆめから溢れだす駅長さんの飼う熱帯魚
  (ステーションマスターズ・グッピ)
下句のふりがながなければ、正調になるが、ふりがなでは、結句の減音がユーモアをぐっと引き出す。
  伊勢エビに名前を問えばナツガタノキアツハイチと応え給えり
結句の文語が、伊勢エビの形態とうまく適合して、笑いを誘う。伊勢エビの応えをカタカナ表記にしたところも上手。
  ウサギの骨(粉)をなめなめいくつもの よるひるあさをすごす
  のでしょう
(粉)は、「骨」の具体的形状に関する注釈で、この場合は発音して、全体は六七五七七。
  吐く。ことの 震え。 る ことの 泣き。ながらウエイトレスは
  懺悔。をしない
吐いて震えて泣いているが懺悔をしようとしないウエイトレスの在り様を、表記により読者にリアルに感じさせようとする視覚的抒情である。
  めずらしい血液型の恋人が戦場に行っ。て。し。ま。っ。た。悪。夢。
この恋人の血液型では輸血は困難なので、戦場での負傷は死を意味する。その現実を噛みしめている心情を句点の多用で表現している。
  (「死」の文字を時計周りに90度づつ 回転させて三十一字とした歌)
死に対する思いをイメージ化した。めくるめくような怖れ、悟りにはほど遠い堂々巡りの思考を視覚的に表現したかったのであろう。
  IT’S ALMOST SHIMOKAWASAN SEASON (もうすぐ下川さんの季節です)
  こんなの嫌、全ぶ嘘でしょう? こんなの嫌、全ぶ嘘でしょう? 嫌
  「あー、あー、マイク・テスッ、あいしてるあいしてるあいしてる
  あいしてる」
これら三首の表記は、一見したところ短歌らしくないが、読み方によって、短歌の韻律に合わせることが可能になる。
以上の例から分るように、穂村弘は、句読点、記号、空白を活用して、拍の調節と視覚的抒情を試みたのである。
ちなみに短歌の表記に句読点をさかんに使ったのは釈迢空であるが、彼の朗読を聴くと句読点本来の働きを無視している。つまり拍のとり方が、必ずしも句読点に沿っていない。迢空は、朗読においてはさすがに短歌の韻律を崩すわけにいかなかったと思われる。迢空は、表記上は短歌の抒情性を消そうとしたものの、「歌の円寂する時」において嘆いているように、短歌の抒情性は宿命的なものであった。