天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

晩秋の吾妻山

吾妻山山頂にて

運動不足解消のために、二宮町の吾妻山を歩いてきた。山の名前の由来が、吾妻神社の境内の案内板に書かれている。『古事記』のよく知られた話だが、東征の倭建命が走水に至った時、荒れ狂う海神の怒りを解くため、妃の弟橘比売命は海に身を投じて難を退けた。その際に彼女が残した歌が、
「さねさし 相武の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも」であった。倭建命は東征の帰途、足柄峠弟橘比売命を恋偲んで「吾妻はや!」と叫んだ、という。ここから「吾妻」が生まれた。その後、海岸に流れ着いた彼女の櫛や小袖を山に祀った。流れ着いた地名が同じ場合に、この山の名前が吾妻山として共通になったらしい。日本の東部を「あずま」と呼ぶのも、この故事にちなむ(「地名起源説話」)。閑話休題
役場口から入ると、すぐに急な石段を登ることになるので、いつものように梅沢口から緩やかなつづら折りの坂を登った。その行き着いたところに吾妻神社がある。一本の榎が立つ山頂からは、冠雪の富士山が真正面に見えて、感動的であった。富士山に向かって左手には、金時山、明神ケ岳、明星ケ岳、神山、駒ケ岳、二子山、白銀山などが並び、右手には、御正体山、檜洞丸、
塔ノ岳、大山などの丹沢山系が連なる。富士山の手前には矢倉岳が黒く見える。これらの山の頂上が明るく見えるのは、紅葉のためであろう。なお吾妻山の木々の紅葉は始まったばかりである。


     冠雪の富士まなかひに吾妻山
     山頂に木枯しを呼ぶ榎かな
     木の間より枯葉ちりくるつづら折
     猫連れてつづら折ゆく落葉かな


  吾妻山いただきに立ち冠雪の富士の雄姿をまなかひに見つ
  くきやかに空につらなる丹沢の山々越えて木枯しのくる
  多様なるいのちの地球をいとほしむ広大無辺の宇宙にあれば