天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

甲斐の谺(2/13)

飯田龍太

俳風の特徴
ふたりとも伝統俳句を継承しており、高浜虚子に親しんだ。河東碧梧桐一派の新傾向や荻原井泉水系統の自由律俳句とは無縁であった。しかし、ふたりとも時代の文芸思潮の影響を受け、それぞれの性格が作品の特徴に現れている。
蛇笏の場合は、当時の文学思潮たる自然主義を、有季定型を守った新俳句として独自な個性をもって生かしきった。即ち、郷土に土着した俳句文学を開拓。郷土の自然を強力なタッチで描いた。西欧近代文学の影響も濃く、モダニズムの審美感覚があった。蛇笏に対する批評家の言葉をキャッチフレーズ的にまとめると、非情なまでのリアリズム、漢語の多用・漢詩文調、熱いロマンチスト、傲岸不遜、古武士のごとし ということになる。蛇笏は、郷里の境川村を白雲去来の山中にあると捉えていた。
 旅終へてまた雲にすむ暮春かな  『白嶽』
龍太の場合、初期においては当時台頭していた社会性俳句とは一線を画している。特に処女句集『百戸の谿』は、郷里の自然と生活に向きあって生れた作品集であり、青春の憂愁が色濃く流れている。その後は、新たな局面に踏み込もうとする姿勢により、柔軟な句構造、前衛的作風といった傾向が現れる。批評家の言葉では、清新な抒情で伝統の現代化をはかった、青春の抒情性、冷え冷えと醒めた人、柔軟で艶やか ということになる。郷里の境川村は、連山の麓として捉えていた。
 極寒や顔の真上の白根嶽    『麓の人』