天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

台場

 『紀貫之』を読み終えた。専門歌人としての一生を概観したことになるが、享年七六歳であった。その時々の大臣に任官や昇進を懇請する記事は残っているものの、その任にあっての仕事ぶりなり、解決した問題なりは一切伝わっていない。例えば、六十歳で土佐守となり土佐に赴任して丸四年間勤めたが、その折の勤務状況はどうであったかを知りたくなる。
辞世らしき歌は次の二首、
   またも來む時ぞと思へど頼まれぬわが身にしあれば惜しき春かな
   手にむすぶ水に宿れる月影のあるかなきかの世にこそありけれ
なんとも寂しい心境ではないか。絶えず官位のことを気にし、高い地位を望んでも思うに任せず、不安と不満に過ぎた一生ということになる。
 午前中は、お台場海浜公園に面したホテルで開催のフォーラムに出席して、畑村洋太郎東大名誉教授の「失敗学のすすめ」という面白い話を聞き、午後は国際展示場にいって自動認識総合展を見て回った。


        お台場や浅蜊掘りつつ煙草吸ふ
        浅蜊採るお台場海浜公園
        飽食の鵜は身じろがず鰡の海

    
   お台場の黒き岩礁(いくり)にゆりかもめ海鵜止まりて
   秋風を聞く


   鰡跳ぬる水面を前に身じろがぬ海鵜の群に朝の潮風
   鰡あまた跳ぬる水面にほっかりと海鵜顔だすお台場の海