天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

相模国分寺跡

相模国分寺跡

 途中でほったらかしにしていた大悟法利雄著『鑑賞・若山牧水の秀歌』を枕元において、眠りに入る前に読んでいるが、大変面白い指摘があった。短歌では五七五を上句、七七を下句という分けかたをしているが、音律の上からいえば、五七、五七と繰り返して結句七でぐっとおさえるのが、むしろ短歌本来の形であり、明治以来の現代短歌にも目に付く、という。牧水の名歌にもそれがいえる。
  幾山河越えさりゆかば 寂しさのはてなむ国ぞ けふも旅ゆく
  白鳥はかなしからずや 空の青海のあをにも 染まずただよふ
  白玉の歯にしみとほる 秋の夜の酒はしづかに 飲むべかりけり
万葉集では寄物陳思という上句と下句を対比させて詠む表現法があるが、中世以降、連歌連句が盛んになった影響でか、ますます五七五と七七を対比させて考えるくせがついてしまった。それゆえに大悟法の指摘が新鮮なのだ。
 今日は、小田急海老名駅で下車して相模国分寺跡を訪う。相模国分寺の伽藍は、塔と金堂が東西に並び、北側に講堂が配置される法隆寺様式である。諸国国分寺の中でも武蔵、陸奥と並んで全国でも最大規模クラスであったという。八一六(弘仁十)年に二回炎上、八七八(元慶二)年には地震にあって消失したが、再建されたらしい。


        礎石のみ残りてさみし赤まんま
        柿熟るる堂塔伽藍ありし跡
        国分寺金堂跡に栗ひろふ
        七重の塔の礎石にしぐれけり
        しぐるるや床のきしめる温故館


   恐竜の野にも明るく咲きにけむアメリカセイタカ
   アダチソウは


   金光明最勝王経秘めたれば人あふぎみる七重の塔
   いにしへの栄華しのびて展示せり遺跡に出でし瓦かはらけ
   奈良の世の堂塔伽藍想ひみる礎石並べる国分寺
   迫りくる宅地押さへて確保せし相模の国の国分寺