天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

牛膝(いのこづち)

湘南平から富士を望む

 今日の「産経歌壇」小島ゆかり選に次の一首が採られていた。
  酸漿(ほほづき)と秋海棠(しうかいだう)を
  避けて刈る日向薬師の草刈の鎌


 大磯の裏山を歩く。湘南平から高麗山(こまやま)をたどって旧東海道の大磯宿の通りを駅まで戻るコースである。秋薊、秋明菊、石蕗の花などが山を登っていく路傍に朝の光をまとって清楚に咲いている。
湘南平の展望台にのぼると秋空の下に三浦半島、横浜方面、大山から丹沢の山、冠雪の不二、金時山、明神ヶ岳、伊豆半島初島、利島、大島などが見渡せて気分爽快である。
 高麗山の由来は、朝鮮半島からの難民が、大磯に渡来したことにある。高麗王・若光が一族を率いたという。続日本紀に「霊亀二年(七一六)に駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野の七カ国の高麗人一七九九人を武蔵国に移し、高麗郡を置く」とある。

        
        人恋ひてとびつく山のいのこづち
        金輪際はなさぬつもり牛膝
        高麗山に地獄沢あり石蕗の花
        秋風や旧大磯の一里塚
        秋風にいにしへ偲ぶ化粧坂
        色鳥の群ひるがへる神の森

   おそれ気もなく足元に寄る鳩の無防備なるをあはれむ神は
   冠雪の不二をながむる黄葉の湘南平を百舌鳥啼きわたる
   きはやかに秋空を切る稜線の丹沢山塊大山の峰
   紅白に塗り分けられし鉄塔が電波を放つ不二の冠雪
   半島の難をのがれし高麗人がはろばろと来し相模、武蔵へ
   傾きてまばらに残る松の木にいにしへ偲ぶ大磯の宿
   高々と伸びて梢をひろげたり秋をいろづく欅の大樹