天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

茂吉の措辞

「かりん」十二月号には、日高堯子の評論「歌われた風景―道―」があり、斉藤茂吉の第一歌集『赤光』に出てくる道の歌の特徴を論じている。ただ、措辞の面からの解析、切り込みではないので、深みがないように感じる。出てくる歌から二首あげてみよう。
A ひさかたの天(あめ)のつゆじもしとしとと独り歩まむ道ほそりたり
B しろがねの雪ふる山に人かよふ細ほそとして路見ゆるかな


Aでは、途中で主語が入れ替わっていくのだ。上句では、天(あめ)のつゆじもがしとしとと降りている、という文脈だが三句を仲介にして一人歩むのは作者、結句にきてさらに主語は道になり、道が細るのである。
 Bでは、「雪ふる山に人かよふ路見ゆるかな」という一文が「雪ふる山に人かよふ」「細ほそとして路見ゆる」というふたつの文とオーバーラップしている作りなのだ。
こういう作り方が茂吉独特なのであり、そこから奇妙なニュアンス、感情がかもし出される。
小池光『茂吉を読む』では、茂吉五十代の五歌集について措辞の特徴を詳しく解説しているが、すでに第一歌集から、独特の措辞が出来ているのである。