天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

ささがにの

 「ささがにの」は蜘蛛、雲、い、いと などにかかる枕詞である。「ささがねの」ともいう。
「かりん」十二月号・馬場あき子の歌に出てきたので、なつかしくなった。
   ささがにの糸のまなかに捕はれてしづかに白い鰯雲なり


いい歌だなあ。ただ、好みとしては、結句を「鰯雲あり」としたい。これでは説明調になる、との思いから「なり」としたことは判るが。
同じ一連に、やはり蜘蛛を詠んだ
   蜘蛛はさかんに巣にゐて秋の夕ぐれを食ひて太りし手足つくろふ


も面白い。何が、といって語順によってとんでもない状況を連想させるからである。「蜘蛛はさかんに手足つくろふ」と接続するのだが、間に別の状況が入っている。そして「秋の夕ぐれを食って太った」みたいな構造になっている。もちろん、そうではなくて「秋の夕ぐれ時を虫など食って太った」という意味である。語順でこうした連想を添わせるのも手法である。