天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

頭韻

 塚本邦雄新古今集から学んだ技法にこの頭韻がある。例えば、次のような歌と解説。

   荒れわたる秋の庭こそあはれなれまして消えなむ露の夕暮    
                      藤原俊成
これの素晴らしさは、上三句、全部「あ」の頭韻でそろえているところ。下句はまことに悲しい内容だが、上句の頭韻の明るい音は、たとえば寒色一色の歌のなかに、さっと一抹の薄紅を入れたような感じがする。

   ほととぎすそのかみ山の旅枕ほのかたらひし空ぞ忘れぬ
                      式子内親王
 五句の頭韻が「ほ」「そ」「た」「ほ」「そ」となっている。明らかに、これは溜め息・吐息のひびきである。


こうして学んだ塚本自身の頭韻の歌は、すさまじいほどたくさんある。以下は『詩魂玲瓏』から、ほんの数例。
   後架に今宵亡き父が来て帰去来の辞を歔欷ののち謡ひいだしつ
   世阿彌忌の世阿彌 ゼミナールは教授鼻風邪に涸(か)れ嗄
   (が)れのバリトン
   イエスが唾嚥みこむばかり美しきヴァティカンの罰あたりの衛兵
   喪ひて十年経てば恋の日もさらさら皿の絵のかきつばた
   青酸加里の味の青梅?世紀末今日安楽死の何が悪い!