天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

永福寺舊蹟

鎌倉二階堂永福寺跡

 今朝の産経新聞・神奈川版に、鎌倉二階堂の永福寺が復元されるという記事があった。平成二十三年には伽藍の基壇部分や庭園の池などが公開されるという。市では昭和四十二年から土地の買収を行っており、教育委員会は昭和五十八年から十年以上の発掘調査を続けた。その結果、この寺が本堂(二階堂)、脇堂(阿弥陀堂と薬師堂)を回廊でつなぎ、大庭園の池を持っていたことが判明した。昨年、永福寺跡の裏山に遊歩道が設置されたという。以前から傍を通るたびにほったらかしの状態を疑問に思っていたのだが、やっと納得できた。
というわけで、今日はこの跡地を訪ねた。歴史的風土永福寺跡特別保存地区になっている。頼朝は、奥州に滅ぼした弟の義経藤原泰衡など戦没者の慰霊のためにこの寺を建立したらしい。
 大正九年三月に鎌倉町青年会が建てた〈永福寺舊蹟〉の石碑には、次の文が刻まれている。
   永福寺世ニ二階堂ト稱ス今ニ二階堂ナル地名アルハ是ガタメナリ
   文治五年頼朝奥州ヨリ凱旋スルヤ彼ノ地大長壽院ノ二階堂ニ
   擬シテ之ヲ建立ス輪奐荘巖洵ニ無雙ノ大伽藍タリキト云フ享徳
   年間関東管領ノ没落セル頃ヨリ後全ク頽廃ス

 この旧跡の側を二階堂川という溝のような小川が流れている。通玄橋を渡って奥へ行けば瑞泉寺である。今日は通玄橋の手前を左に入って記事のあった遊歩道をたどり、永福寺の裏山に上った。その先は、道なき道を歩き断崖を下りて大塔宮の駐車場に出た。


   大塔宮の広場に注連張りて御粥神事の笹竹たてり
   日曜の御粥神事を待つばかり笹竹ぬらす春の霧雨
   枯れ葦の原とし残るみちのくの浄土まねたる大伽藍跡
   裏山の遊歩道より見下ろせり枯れ葦原の永福寺跡
   まなかひに山なみかすむ天園をめざせる人は尾根道をゆく
   買収を拒否せる家か二軒あり枯れ葦原の永福寺跡
   永福寺跡地にのこる家二軒市の買収に犬が吠えつく
   遊歩道は山に入りたり断崖の眼下に拝す大塔宮
   いにしへの姿を元に復さむと枯れ葦原にひく設計図

        天園の山なみかすむ春の雨