花宴
一一九三年の「六百番歌合」で、藤原良経の左方の歌に右方人の六条家がいちゃもんをつけたのに対して判者の藤原俊成が「源氏見ざる歌よみは遺恨の事なり」と切り捨てたのは有名だが、この時の源氏とは、詳しくは「花宴」の巻を指す。塚本は、『源氏五十四帖題詠』の花宴の中で、良経に対抗して下の短歌を突きつけた。墓所を匂わす「草の原」の前衛和歌と大江千里の本歌取りで初句七音の前衛短歌の対決である。
見し秋をなにに残さむ草の原ひとへにかはる野辺の気色に
藤原良経
朧月夜に及(し)くものひとつ名を告げぬままにぞ消えし乙女の扇
塚本邦雄
花の宴が果てた後、朧月夜の内侍と光源氏は結ばれたが、彼女は名を明かさなかった。そして、
憂き身世にやがて消えなば尋ねても草の原をば問はじとや思ふ
という歌を詠んで光源氏の志の深浅を験した。また遭う日のために互いに檜扇を取り交わしたが、光源氏の君は、そこに
世に知らぬここちこそすれ有明の月のゆくへを空にまがへて
という歌を書いておいた。こういった物語を背景に、良経と塚本の歌が作られている。塚本の本歌は、
照りもせずくもりも果てぬ春の夜の朧月夜に及(し)くものぞなき
大江千里
である、念のため。