天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

幻視の女王

 「もともと短歌といふ定型短詩に、幻を見る以外の何の使命があらう」というマニフェストを掲げて現代短歌に革命をもたらした歌人塚本邦雄であったが、葛原妙子の歌を鑑賞して秀歌を見出し、「幻視の女王」と賞賛したのも彼であった。両者とも短歌で幻を見ようとしたのだが、その行き方に、明らかな違いがあった。葛原が徹底して日常世界を題材にしたのに対して、塚本は反現実の世界、たとえば聖書、伝記、地図から探した独自の歌枕などに主題をとった。
葛原妙子の第一歌集『橙黄』は昭和二十五年の発刊、塚本邦雄の第一歌集『水葬物語』は昭和二十六年の刊行であった。
 塚本が『百珠百華』における葛原の秀歌鑑賞の内、『橙黄』から抜き出したのは十五首。
次に五首だけあげておく。

  わが継母が白き額に落ちゆきし山川いづことおもふにもあらず
  すごき聲に山鳩啼けりといにしへも歌ひたらずやわが谷深し
  とり落とさば火焔とならむてのひらのひとつ柘榴の重みにし耐ふ
  奔馬ひとつ冬のかすみの奥に消ゆわれのみが累々と子を持てりけり
  卑下慢、といへる佛語の辛辣をおもひつつやさしさやぐあきぐさ