固有名詞の効果
和歌、連歌、短歌、俳句といった短詩形に固有名詞を詠み込むと思わぬ迫力、リアリティが生まれることがある。人名の場合、釈迦とか高名な僧侶などではダメで、全くローカルな人や現代からすれば知りようのない昔の普通人がよいのだ。和歌、連歌では例がないが、現代短歌ではかなり多くなっている。『梁塵秘抄』と『閑吟集』における珍しい例を次にあげる。
『梁塵秘抄』からの例、
清太(せいた)が造りし刈鎌(かりかま)は何しに研(と)ぎけむ、
焼きけむ、造りけむ、棄てたうなんなるに、逢坂、奈良坂、
不破の関、栗駒山にて草もえ刈らぬに
『閑吟集』からの例、
大外(おほと)の重(へ)の孫三郎が、織手(おりて)を留(と)
めたる織衣(おりぎぬ)、牡丹、唐草、獅子や象の、雪降竹
の籬(まがき)の桔梗と、移れば變る白菊の、大外の重の竹の下、
裏吹く風もなつかし、鎖(さ)すやうで鎖さぬ折木戸(おりきど)、
など待つ人の來ざるらむ
現代歌人でこの効果を熟知し、多用したのが、我等が塚本邦雄で
あった。もちろん、名前は実名である必要はない。
腹心の望月茂一喨喨としてかなしその皓歯に隙
柔道三段望月兵衛明眸にして皓歯一枚を欠きたり