天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

「キシガミ」

 「短歌研究」三月号に、「キシガミ」という藤原龍一郎(短歌人所属)の主題制作が掲載されている。キシガミと片仮名で表記してある主人公は、六十年安保闘争に参加するが、恋と革命に敗れたとして服毒縊死した歌人の岸上大作である。藤原は、岸上の「ぼくのためのノート」や歌集『意思表示』、岸上に関する評論などを参照している。当時の流行もの、社会情勢などを背景にキシガミの状況を詠んでいる。現代短歌における壮大なる題詠・主題制作は塚本邦雄を嚆矢とするが、最近はあまり見かけないので、この「キシガミ」は目立つ。いくつか引いてみよう。

  福崎に遺骨帰還し曇天の雲の隙より雨滴落ち来る
  喫茶店カスミのコーヒー苦けれど詩論・歌論を語りて尽きず
  卒業し田舎教師となる明日を否み下宿の畳の汚れ
  デモに居る無名をむしろ誇らしくカフカを思いロルカを思い
  ラジオから若き歌人の死のニュース聞こえる昭和の夜ありき 亡び
  アイザック・K死後一万六千の夜は過ぎ放置自転車無数
  
実はこうした作り方は、素材はいっぱい揃っているので、言葉の組み合わせを工夫するだけで簡単なのだ。要は作品の出来具合なのだ。詩人ベルレーヌとランボーの愛憎生活に題をとった塚本の『水銀傳説』は岡井隆を「壮烈な失敗作」と嘆かせた。ことほど左様に高い評価を得ることは大変難しい。


  杖つきてよろぼひあゆむ夫待ちてふりかへりたり腰まがる妻
  腰まがりたる老夫妻あとさきになりて出でゆく靖国神社
     機関銃中隊の梅紅く咲き
     紅梅や士のこころへを板書せる
     御霊屋に陸士寄進の梅ま白