天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

紀行文の名手

 小泉八雲ことラフカディオ・ハーンは、研ぎ澄まされた感性と華麗な文体で、紀行文の名手と言われているが、「日本海の浜辺で」という文章を読んでもそれがよくわかる。通訳がわりに伴侶となる節子を同伴しての旅であったらしいが、旅館に勤める女性などから経験談など聴きだしてまとめている文章も、自らの見聞による風景描写も大変魅力がある。宿の夕飯の給仕に現れた女性から聞き出した漁師の夫と弟が目の前の海で死んでゆく話や、それを語る時の日本女性らしさの描写など、実に感心してしまう。


 ”吶々と話を了えた時女の声に泣き声がまじったような気がした。
  そこで急に畳まで頭を垂れて一礼し、袖で涙を拭うと、女は
  私たちの許しを乞い、はしたない真似をしましてと笑った〜〜〜
  日本人の礼儀の感覚に欠かせぬあのおだやかな低い微笑である。
  この微笑が、この話以上に、私の心を打った。すると頃合いを
  見計らって私の連れが上手に話題を変えて、私たちの旅について
  軽い話を始め・・・・”
 
 彼の目に映った明治期日本の人と風土を羨ましく思わない現代日本人は、今後の日本を破壊と腐敗に導くであろう。今国会に提出されている教育基本法についても、「国を愛する心」に反対する向きもあるようだが、自国を愛する気持が他国の国民を同じ立場として尊重する気持をも培うのであり、またそのような教育はできるのだ。
 こんなことでカッカしていては、心臓がいくつあっても足りないから、もうやめた。