天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

老境の歌(3)

 高松秀明『旅立ちて、今』(ながらみ書房)を読み終えた。今回は、惹かれるのだが、よく理解できない歌をあげる。


  独り夜は始祖鳥と飲む黒麦酒 身を清むるといふにあらねど
  *「始祖鳥と飲む」が分らない原因である。始祖鳥は世界で七例
   しか発見されていない化石であるから、それを傍においている
   わけはない。そのレプリカであろうか。まさか年老いた奥さん
   のことではあるまい。肉も筋肉もなく骨と羽の形のみ残って
   すっきりした容貌の化石に清潔感を感受するということは理解
   できる。


  天山ははるかなれども砂漠なす言吹き上ぐる春に入りゆく
  *わからないところは「砂漠なす言」である。天山山脈に関わる
   砂漠は、タクラマカン砂漠であるが、その砂漠を思わせるほど
   の言葉を吹き上げる春がやってきた。言葉を発するのはもちろん
   春の情景であろう。言葉にできないほどのすばらしい春の情景
   だ、と言っているわけでもなさそう。どうも分らない。


  流氷のかけらを包みポケットにしまへば古代のメールにじみ来
  *「古代のメール」と流氷の関係がピンとこない。氷河なら古代
   と言えるほどの年数を持っていようが、流氷では、毎年生成
   されるので古代のイメージは伴わない。しかも前後の歌から、
   この流氷は北海道で見られるものらしいのだ。