高松秀明『旅立ちて、今』(ながらみ書房)を読み終えた。今回は、惹かれるのだが、よく理解できない歌をあげる。
独り夜は始祖鳥と飲む黒麦酒 身を清むるといふにあらねど
*「始祖鳥と飲む」が分らない原因である。始祖鳥は世界で七例
しか発見されていない化石であるから、それを傍においている
わけはない。そのレプリカであろうか。まさか年老いた奥さん
のことではあるまい。肉も筋肉もなく骨と羽の形のみ残って
すっきりした容貌の化石に清潔感を感受するということは理解
できる。
天山ははるかなれども砂漠なす言吹き上ぐる春に入りゆく
*わからないところは「砂漠なす言」である。天山山脈に関わる
砂漠は、タクラマカン砂漠であるが、その砂漠を思わせるほど
の言葉を吹き上げる春がやってきた。言葉を発するのはもちろん
春の情景であろう。言葉にできないほどのすばらしい春の情景
だ、と言っているわけでもなさそう。どうも分らない。
流氷のかけらを包みポケットにしまへば古代のメールにじみ来
*「古代のメール」と流氷の関係がピンとこない。氷河なら古代
と言えるほどの年数を持っていようが、流氷では、毎年生成
されるので古代のイメージは伴わない。しかも前後の歌から、
この流氷は北海道で見られるものらしいのだ。