天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

『昭和短歌の精神史』(2)

 近藤芳美が今年六月二十一日に亡くなった。
三枝は『昭和短歌の精神史』で「戦時下の青春」という一章をさいて、近藤芳美、とし子夫妻の相聞歌とその背景を紹介している。近藤自身の自伝『青春の碑』や近藤へのインタビューによっているので、説得力がある。大学卒業したての建築設計師と大学教授の令嬢とが、朝鮮でのアララギ歌会を契機にやがて結ばれる。
 この章のクライマックスはいくつかあるが、結婚後近藤が出征した先に妻からの最初の手紙が届き、そこに万葉集の歌「吾が背子はいづく行くらむ沖つ藻の名張の山を今日か越ゆらむ」などが書き添えてあった。近藤は、手旗演習において、この手紙に応えるように揚子江のかなたに向かって紅白の手旗を振りつづけた。この状況を詠んだのが、近藤のよく知られた次の歌である。
  はてしなきかなたにむかひて手旗うつ万葉集をうちやまぬかも


三枝は、「はてしなきかなた」という絶望的な距離が妻への気持ちに切なさを加え、戦時下の恋の輪郭を鮮明にする、と解説している。
 以前にも書いたが、戦後しばらく経ってからの近藤芳美の歌は、土屋文明調をさらにごつごつした読みにくい作りだし、内容も柔軟でなくどうにも好きになれないが、この戦時下の相聞歌には、否応なく惹かれてしまう。