二冊の歌集
今日は午後から短歌人・横浜歌会。例によって昼前を円覚寺の境内ですごす。拝観チケットに書いてある文章に誤記を見つけた。北條時宗が円覚寺の開山を中国から迎える際に、使者に持たせた漢文の書状が紹介されているが、その書き下し文語文に、「鯨皮」とあった。これはもちろん、「鯨波」の誤りである。円覚寺ともあろう禅寺が、こうした誤りに気づかないとは、恥ずかしい。
この四、五日の間に、注文しておいた歌集が二冊届いた。藤原龍一郎『楽園』、小島ゆかり『憂春』 である。前者は、藤原の最新歌集、後者は、今年迢空賞を獲得した歌集。藤原龍一郎の歌集は、以前に評論を書いた機縁で全歌集を持っているので、今回も購入した。二冊の歌集を同時進行で読んでいるが、今日は、『憂春』を持って出た。今まで読んだ彼女の歌集や作品は、いかにも作り物の感じがして、巧いとは思うものの好きになれなかった。『憂春』は違った。最初の数ページを読んだだけだが、さすがに迢空賞のレベルの歌だと感じた。これまでと比較すると成熟したというか無理がない。
例えば、
うろこある膚の歓喜は六月の水ぬめらかな岩の間をゆく
こんりんざい人の心はわからぬをはるかに白し山ぼふしの花
遠山はいちじく色に日暮れつつそこに谺す川魚のこゑ
梨畑に遊ぶ犬をり七十年行方不明の赤彦の犬
八月のゆふやみ永し梨の実にしんしんと金の隠れ水湧く
下句での展開の仕方、想像力、擬人化など自然に感じられ説得力がある。
山門をくぐれば涼し坐禅堂
あかつきの坐禅は冥し百合の風
舎利殿を描きて終る夏休み
クロアゲハくれば色づく葵かな
葺き替ふる藁屋根見上ぐ酔芙蓉