天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

『憂春』(2)

 この歌集を読み終えた。やはり一番印象に残ったのは、小島ゆかりの独自の措辞や比喩の卓抜さであった。先にあげた例の続きをあげておく。


  思はねばパレスチナいま無きごとし煮え湯のやうな夏のかげろふ
  吹き晴れてなほゆたかなる風の房 山鳥のごとく秋は来にけり
  娘らを怒りしのちはしづしづとドイツの寡婦のやうに食事す
  曇り日の山の吊橋わたりつつぶだうのやうな秋の心臓
  朴の葉の広葉の落ち葉踏みしときわれを出でゆく人形の風
  昼の列車に暖房ゆるくかよひつつ時間の果肉ならんか人は
  細形の西洋犬を先立ててスーラの街をゆく春の人
  髪強し風疲れして三月の西日のにほふ紅茶を飲めり
  かがみつつ亀を見てゐるわがめぐりまひる白い楕円閉ぢたり
  しじみ蝶風にながれてみちのくに繭のしろさの夏時間過ぐ
  防風林の傾斜はげしきひとところ空にもふかき落とし穴ある
  熊蜂のかがよふかなた神々の欲望のごとく春の雲湧く
  葉ざくらの梢ゆれやまぬ中空のあのあたり風の勝手口あり
  盗賊のねむり詐欺師のねむりなどおもへば熱し夜の肉体
  昏睡の祖母もの言はず六月の夜空にのぼる片耳の月
  蓑虫のすずしい孤独 昼は風に夜は月光にぶら下がりをり
  皺ふかく眼をしまふ祖母は砂の時間に入り給ひたり
  弓なりの人恋しさはたまねぎに刃を入るるとき爪先が反る
  ねむれない夜のためここに椅子ありて息(おき)長人(ながびと)
  われを坐らす
  台風のなごりの空をゆく雲の速し速し虹の大車輪うく

  
 赤字+太字で示した言葉遣いが、詩の世界ですでに知られているかどうかは、不案内なのでわからない。ただ、短歌では小島ゆかりの独自性があるように思えるのだ。