天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

主語の有り様

 一般に日本語では、主語をあからさまにしないことが普通に行われる。短歌では主語が書かれていないときには、作者を想定するのは常識である。


  鍔広き少女の帽子かむる日に信濃の山羊の紙のごとしも
                     「子午線の繭」
  *帽子をかむるのは作者と考える。にしても、下句がわからない。
   山羊の紙のようだとは何?


  合唱のごとくにふれる峡の星ふゆしろがねの橋をわたりて
                     「子午線の繭」
  *山峡の空に見える星が合唱の声のように降ってくると作者
   は感じた。冬の白銀の橋を渡った時に。


  死を積める春の隊商、蝉唸る野の草いきれ翳らせてゆく
                     「子午線の繭」
  *「翳らせてゆく」の主語は? 春の隊商である。


  露はしる杉の木原に言問えば天地の涯に首を垂れたり
                     「霊異記」
  *作者が杉の木原に何かを問いかけたら、杉の木原が首を垂れた、
   という。擬人法である。言問いの内容は問題でない、というか
   読者の想像にまかせる文型である。