天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

自由律俳句

小林恭二が雑誌「俳句研究」で連載している「恭二歳時記」を毎号楽しみに読んでいる。今月は、自由律俳句の名手である荻原井泉水種田山頭火の作品を鑑賞している。両者の対比のところが大変興味深い。初めに作品例を二句ずつ並べる。

     空をあゆむ朗朗と月ひとり       井泉水
     どつかりと山の月おちた        山頭火
     稲にうつくし水ながれ美作一の宮参る  井泉水
     へうへうとして水を味ふ        山頭火


自由律俳句のスターになったのは、創始者たる井泉水ではなく弟子の山頭火であった。その要因分析として、いわく、
”自由律俳句というのは、季語や定型といった形式を放棄した分、
作者の生きざまで補わざるをえないようなところがありました。
自由律のスターになるには、井泉水は破滅的でなさすぎたのです。”


また、いわく、
山頭火の句は良きにつけ悪しきにつけ、作者の強烈な境遇を
前提条件として始めて成り立つようなところがありますが、
井泉水の句はそうした前提を持たない分、ことばの美しさを
純粋に味わうことができます。”


山頭火については、俳壇ではあまり取上げられないが、別の読書界では今だに大変な人気がある。その理由として小林は、山頭火の詠む俳句のメンタリティが、通常の俳句のメンタリティと隔絶しているからだと解く。いわく、
山頭火は作品の主人公は常に自分、それも客観化された自分では
なく、主観のかたまりとしての自我です。多くの作品は山頭火
いう人間と一体化しており、自己規制はほとんどなされていない。”


自由律俳句に関するこうした分析には、初めて出会ったのでまことに新鮮であった。

[注] 自由律俳句は、河東碧梧桐から始まったとしてもよいが、残念ながら今に残る優れた作品がないこと、世に知られた後継者が育たなかったことを考慮すると、創始者とは言いがたい。