天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

相対運動的詠み方

 暇にまかせて電車の中で『短歌研究』十一月号の「作品季評」を読んでいたら、大変ためになることが書いてあった。吉川宏志歌集『曳舟』の歌に関する小池光の分析が、久しぶりにエキサイティングだったのである。


  ほのじろく塩こびりつく大岩は日暮れの海にしずみゆきたり
  地面から剥がれし苔の一枚を手に持ち歩きおり男の子
  夏至過ぎて雨多きかな切られたる鰻が飯のうえでつながる


 小池の分析の要点を次にあげておく。


吉川宏志の表現の核心は、相対運動という言葉で表せる。吉川は、
 対象を相対運動化している感じがする。車がこちらから動いている
 というのを、車を止めて、逆に周囲がこちらへ動いている発想で
 すべてのものを見る。
*「ほのじろく・・・」についていえば、大岩が日暮れの海に
 しずんでいくという。普通はそうではなくて、夕潮が満ちて
 大岩が隠れるというように認識するのだが、吉川は、そこを
 相対化して詠んでいる。
*何かが逆転したイメージが立って、それが非常に懐かしさと
 同時に不安定なもの、あやしいものの雰囲気を醸す。
*佐藤佐太郎の「冬山の青岸渡寺の庭にいでて風にかたむく那智
 の滝見ゆ」とおなじように、ねじれがある。どこかで能動的な
 ものがぽっと受動的なものに転化する。そういうねじれの中で
 何かを立たせていくという技術がある。