天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

土屋文明の「道」1

 今、「道のうた」というテーマで評論をまとめている。詩では、高村光太郎の「道程」や北原白秋の「この道」があり、俳句では、芭蕉の「此道や行く人なしに秋の暮」がよく知られている。短歌でも斉藤茂吉折口信夫、佐藤佐太郎などに有名な歌がある。こうしたことを含めて、面白い話にできたら、と考えている。乞うご期待!
 この過程で、古典和歌の「道」、近代短歌の「道」、現代短歌の「道」の区分けで、多くの歌集をレビューしているが、例として土屋文明の作品から紹介してみよう。「道」を含む歌を片っ端から集めると多数のものがある。ほんの一部だが順番にあげる。但し、鑑賞は省略する。


  造り岸さむざむ浸しよる潮のかわける道にあふれむとする
  満ちきりし潮はふくれて高々とわがゆく道に襲ひ来らしも
  人うとむ思ひに堪へていでて来し海岸道路に寒さはつよし
  丘北の日むきにそむく榛並木枝下道はいまだと凍れり
  いただきはいまだ萌えざる峠山幾曲がりして超ゆる道あり
  春おそき福沢山を越ゆる道人も通はずうねれるがみゆ
  色川へ分るる道は広けれど大雲取の道はしげれり
  平らびと藤原びとも願もち越えけむ道の苔はしげれり


とまあこんな具合で、延々と続く。