土屋文明の「道」2
土屋文明の「道」、続き。
乾きたる道を来りて青草の堤のふき井のめば清しき
秋草の峠の道にきこえ居る雲雀はひとつ八月の日に
亡き父と稀にあそびし秋の田の刈田の道も恋しきものを
海あれて淡路の船の絶えし日に六甲山に登り来にけり
傾く日にきらふは釧路の国の山か夕ぐれてなほ到りつかざらむ
小坪の浜の見え来る崎道に幼児はころぶいきほひこみて
春草ののびし坂道上り行きて雑木の山は霜のこる道
地下道を上り来りて雨のふる薄明の街に時の感じなし
木場すぎて荒き道路は踏み切りゆく貨物専用線又城東電車
たくましき大葉ぎしぎし萌えそろふ葦原に石炭殻の道を作れり
解体船の現場を示す枯原の道は工場にただに入り行く
いく所か青葉の沢に人住みて草野いりゆく道は見えにき
岐れたる路は沢田に沿ひ入りて青竹の束ふみしだきゆく
ややしばらく竹の下道のぼり行けばものぞ静けき汗たりながら
かわきたる苔の下道秋の蝉は竹の林にこゑ絶たずなく
山の水草の中よりさやさやに落ち居る道を朝歩むも
藺の苗を植えてにごれる小き田の幾枚かありて国道に出づ
多賀城にただちに向ふ刈田の中わだちの跡の荒き国道
武蔵より川を渡りて月しろき河原のみちは上つ毛の国
峡ふかく川瀬の道を入り来り此所もきこゆるさやさや瀬の音
山道に拾ひし竹をつきゆきて三十年前の先生にあひぬ
多胡の山を一日あるきて下草のなかなる道も昔の如くなりき
見忘れて居る先生に道にあひて少時居る吾を友等待てり
道の上に真薦のかわく香ぞしるき今日立秋の村に入り来て
梅雨になる雨ふりいでて道芝の穂の立つ古里にかへり来にけり
まだ三分の一程度のところである。
なお、これらの歌は文明自薦の岩波文庫『土屋文明集』から抜いているので、文明の全歌集からとなると、もっと多くなる。