天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

土屋文明の「道」3

延々と続く。

  禍の水の中にて放水路成るをたのみ給ひしこともむなしき
  加藤君は絵をかきやめて大磯より道を教ふとともに来給ひぬ
  新はりの道に並びて落ち来る春の水あらし鳴りつつぞ来る
  春日てる荒野の道をのぼり来て猪名の湖しづもりにけり
  二居(ふたゐ)より山の間の広くなり道に荒沢が押し流したり
  石高き草野の道に標打ちて国道十何号線か此処に開くは
  道々に掬ひてゆけばこの荒き水に生物棲み居るらしも
  相沢君が見いでし白花の烏頭(うづ)を掘りふりつつ登るこの峠路を
  檜前をつらぬきて白き県道のかわける方にくだりは行かず
  立てなめて剣鋭き岩の間も道かよふかと見ゆる沢あり
  午後三時山のかげりの早くして檜原の道はこほりけるかも
  土ほこり立てて下れるバスの後檜原の道のしづまる一時
  国原のなかばまで陰の及ぶ見え山中の道夕ぐれにけり
  氷しろき沢の日かげに道めぐり子供等はころぶ一人また一人
  紅の水木の枝を折りあそび夕べの道に子等と吾と居り
  いろづくと見つつふみ来し草の道北側に下り細くなりたり
  芥子の畑茎たちはじめ限りなし大辺路を南にくだる一日
  大辺路をしばし別れむ古道の石つづく見ゆ若芽だつ中に
  すぎて来し淡路のあたり入らむ日の海の上なる一たむろ雲
  草も土も陰をつくりてたみたる道つき来る妻の須臾わかく見ゆ
  この山の花の淡きも思ひしむ大辺路とほく来たりにしかば
  狛山のたをりをめぐり道白し目の高さにて湧立つかげろふ
  松山の中なる古き道ありて大伴家持思ほゆるかも
  紀伊の道伊勢へゆく道分るれば宇陀にしゆかむ埴生坂の道
  かたまりて吾等は畦をつたひ行く道のたえたる鏡の山に
  志賀寺の上りの路に汗あえてかへり見るかな晴れてゆく海を
  限りなく天は澄みつつ道の上に青きまま槐すがれぬ
  言ふよりは容易ならぬ道君立てば頭をふして吾は送らむ
  朝きらふ島の宿りをいで立ちて栗ひとつ拾ふ道芝のなか
  吾として長き道々をあまた君等にいたはり助けられ帰り来にけり
  枯れ立てる大葉ぎしぎし時に見えて世田谷の道思ひいでつも
  此の土につきて離れぬ民ありてとん台の跡つづき鉄路ゆく
  道のべに水わき流れえび棲めば心は和ぎて綏遠にあり
  古へより食貨のことを重みして殖えたる民等道にあふれ食ふ
  黄草嶺の村に繕ふ少女見つ鉄路より低く嶺こゆる古き道
  何時の間に黄麻は引かれ道芝の実の散る中山路山羊の一群
  終日(ひねもす)に鳥が音近しはしり出の道の三つ葉の茎立たむとす
  菅原のみささぎ暮れて道白き佐紀野をぞ行く命なりけり
  走井に小石を並べ流れ道を移すことなども一日のうち
  道草の枯るれば白き石の面故人(ふるひと)のごとく吾が前にあり
  道の上のゑまひもつはと言ふならばわが目の前の山の間の霧
  道の上の古里人に恐れむや老いて行く我を人かへりみず
  年々のおきな草の花も絶えぬるに此の道芝のたのしかりけり
  時過ぎし塩手に寄りて道を譲る露にぬれ峠下り来る母子に