天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

土屋文明の「道」4

今日は、『青南集』から始めて『続青南集』の途中までの「道」を含む歌をあげる。


  道の上に折りて手向のしで桜俳句学ばざりしことも思ひつつ
  赤門前今成りし道のすぐなればなべては清く幼なかりにき
  足わななき或は饑(う)ゑし幾度かこの道こひてよりにしものを
  足傷つき行きし山ノ目の道の見ゆ生命はながし歌はみじかし
  恋ひこひき此はこれ筑前深江村おそき月出で道の白しも
  松浦の道ここに通ひてつづけざまにトラックひびき暁となる
  清き生(よ)を紅葉づる山にかくせれば道に会はさむ真処女もなく
  雪しまく渋谷(しぶたに)の道ひねもすに宇波川見き此の君おもひて
  ただ走る昨日に続く道の埃五味君は頻りに西瓜を食ひたがる
  この道や幾往きかへり朝日さす山の上の雪ひたすらなりき
  磯の道岩をけとばし魚はこぶ媼の踏めるフユアフヒの苗
  メロン室道の上よりのぞきゆく記憶以前の記憶たどりて
  かの年の暑きこの道従ひき草鞋つけし四五人一人をのこす
  道あり流れを渡る右の坂うへ森は夕日にかがやきたりき
  五万分一図右下の四半分わが恋かかる道に流れに
  木綿織らずなりし真岡の町出でて田圃道には箕直しが歩いてゐる
  大雲取の道を我等が爲に見てかへる処女(をとめ)は花原の中
  草の中に石を求めて道を知る三人踏みし日の記憶おぼろに
  職はなれし我と災の後の君心あひて古き道を越えにき
  草の下に或はかくるる石の道千年(ちとせ)の苔のおろそかならず
  あらしあり三越峠の道絶ゆとききて発心門より引きかへす
  ゆきゆきてかつて夫役の細き道穂に立つ稗もなつかしみする
  つひに人間のあるべきことを信ずれば槻の若菜の下蔭の道
  石の橋幾度わたる富の小川川に附きたる道白くして
  わが通ふ疋田の道の幾かはり草のもみぢの今日も見るべく
  切り通し低めし道の元のあとこほしみ登る春日山はまとも
  細より尾根を横行き冬野の道教へし娘を上村老人覚えてゐる
  滝畑より千俣の道をいふ人なし二十年前には我が越えにしを
  羽咋より気多に歩みしかつての日道々神々の名も忘れたり
  草鞋はきかへ行きたるは道は広くなりバスの来りて島人運ぶ
  我が道の前に降りたる何鳥かなな色にほふつばさをさめて
  麦からを焼く火の赤き道なりき進まぬ馬を打ちやまぬ御者に
  舗装道路国の界もなく走るここに古へを考ふべしや
  松ありし沙浜の道人いへどはらひ川の名は忘れられたり
  たづねわびし時雨のひまの埴(はに)道を媼は古き跡にみちびく
  眉氷るあしたの道をともにせし処女等のかがやく頬を忘れず
  みちびきし三河人も道を知らざりき今日は見る懸崖楼閣群
  終に負ける戦争なりと思はねば泥道も行きき日本あらはすと
  女亀山に立つ木のさまも道々に見つつこひ行く赤名のたむけ
  四度越ゆる赤名はすでに坂ならず国の界は隧道の中