写生技法の功罪
正岡子規に始まって、高浜虚子、斎藤茂吉などが俳句や短歌における写生技法を盛んに称揚したが、後に水原秋桜子や荻原井泉水など反発する勢力も現れた。たまたま本棚から「国文学」平成八年二月臨時増刊号の「俳句の謎」という特集をめくっていたら、坪内稔典が「近代俳句史」という評論で、写生技法について触れている記事が目にとまり、わが意を得たりと感じた。それは、
“ 俳句という少ない言葉による写生は、本来的に無理がある
のだが、無理を押し通して写生をすると、対象の誇張、
強調、拡大、変形、縮小、省略などをしばしば引き起こす。
子規の
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
を例にすれば、「柿くへば鐘が鳴るなり」という意外さ
(それがこの句の魅力)は、俳句における写生が極度に
事情の省略を要求する結果として生じている。
また、「柿くへば鐘が鳴るなり」と「法隆寺」の取り合
わせは、作者の体験を写生したものだが、法隆寺では柿
を食べたら鐘が鳴る、と読者に思わせる。ここには
あきらかに誇張がある。つまり、写生はこの句では意外さ
や誇張を生み出している。 “
という理解である。
正岡子規の俳句が融通無碍であるように、どんな技法でも結果の作品さえよければ、貪欲に採用すればよいのである。いな、むしろ、それら技法をどんどん応用して作品を作ってみることが肝要であろう。