天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

大伴家持(1)

 インターネットで大伴家持に関する書籍を注文した。もちろん古本で、中西 進編『大伴家持』、田中 阿里子『悲歌 大伴家持』、多田 一臣『大伴家持―古代和歌表現の基層』 の3冊。
 先ず中西 進編『大伴家持』が届いたので、さっそく通勤電車の中で読み始めた。家持の年譜、全和歌がまとめられているところが参考になる。青春時代、越中時代、越中以後、万葉以後に分けて数人が評論を書いている。秀歌鑑賞は、高野公彦、岡井隆中西進 の三人が担当。


 以下に紹介するのは、扇畑忠雄が執筆した「万葉以後の生涯」の一部分である。それは、太政官符二通に残っている家持のサインの筆跡から、彼の性格を推論しているところ。鑑定は、筆跡心理学を専攻していた黒田名誉教授による。性格あるいは態度として「煮え切らぬ」「保身」を導き、それが彼の生涯に反映されている、すなわち、筆跡と歌・伝記との一致が見られると結論する。
 たびたび政変に遭遇するが、特定の勢力に加担するわけでもない。しかし疑われていったん職を解かれ、また復帰する。これの繰返しである。歌においては、笠女郎に代表されるように熱烈な相聞の歌をたびたび贈られるが、彼女たちを有頂天にさせるような歌を返すでなく、張り合いがないと失望させてしまう。
 四十二歳で歌を詠むことをやめた。最後が万葉集の掉尾を飾る例の名歌である。家持はそれから二十六年を生き、六十八歳で赴任先の多賀城で亡くなる。大伴氏という軍事の名門を率いる立場にあっては、政変ごとに軽率な行動などできなかったであろう。