大伴家持(2)
中西 進編『大伴家持』の中から、秀歌鑑賞のところを取り上げる。全部は無理なので、気になるいくつかにつき、鑑賞者が秀歌と判断する要点を見ていこう。加えてわがコメントも。今回は、高野公彦担当の青春時代(家持27歳まで)の作品から。
振り仰けて若月(みかづき)見れば一目見し人の眉引(まよびき)
思ほゆるかも
*家持十六歳、最も若いときの歌。若月=三日月と眉引の対比、
「見れば・・見し」「一目・・人の・・」における頭韻。
なお、若月ということでは、現代歌人の梅内美華子の歌集
『若月祭』とその中の歌「夜半の道君ひとりする物思い知ら
ざれば照るわれは若月」をすぐに思い出す。梅内は当然、
家持のこの歌を意識していたであろう。
ひさかたの雨間(あまま)もおかず雲隠り鳴きぞ行くなる
早稲田(わさだ)雁がね
*結句「早稲田雁がね」は家持の造語だが、情景が簡潔化され、
それによって却って一層ゆたかなイメージが拡がる。
わがコメントとして、結句からは、斉藤茂吉の名歌「このくにの
空を飛ぶとき悲しめよ南へむかふ雨夜かりがね」が連想される。
秋さらば見つつしの思へと妹が植ゑし屋前(やど)の石竹
(なでしこ)咲きにけるかも
*家持二十二歳の作。妹とは「をみなめ妾」のことらしい。
どんな存在なのか不明だが、彼女がなでしこの種を播いたのは、
死後も家持に愛されたいという気持からであったろう。
家持は改めて彼女を憐れに思いながら、なでしこの花をじっと
眺めているのだ。何故か、若きツタンカーメン王の棺に、王妃
アンケセナーメンが供えたヤグルマギクを想ってしまう。
忘れ草わが下紐に着けたれど醜(しこ)の醜草言(こと)にし
ありけり
*何年も離れていた妻の坂上大嬢に贈った歌。世間の言い慣わし
どおり忘れ草を付けて、あなた恋しさを忘れようとしたが、
無理であったと、家持は嘆く。下句の強調表現に特徴がある。
ただ、「下紐に着けたれど」という言い方からは、貴女を早く
抱きたい、という露骨さを感じる。
うちき霧らし雪は降りつつしかすがに吾家(わぎへ)の苑に
鶯鳴くも
*「雪は降りつつ」と「しかすがに」の間に文脈上の小さなねじれ
があり(二句で完全に切れていればねじれはない)、そのねじれ
を通過する際のかすかな目まいがこの一首の味である。
御食(みけ)つ国志摩の海人ならし真熊野(まくまの)の小船に
乗りておきへ沖辺漕ぐ見ゆ
*人麻呂短歌に似たゆったりとした古代的気息がこもっている。
海の大景を眺めつつ心を開放している家持がいる。
家持二十三歳。
さをしか男鹿の胸別(むなわけ)にかも秋萩の散り過ぎにける盛り
かも去ぬる
*ひっそりと過ぎてゆく鹿の胸に、萩の茂みが触れては花が散り
こぼれる。この一首の生命は明らかに「さ男鹿の胸別」という
詞句が呼びおこすイメージにある。「鹿の胸別」という語は、
後に「夜もすがら妻とふ鹿の胸分けにあだし真萩の花散りに
けり」という藤原俊成の名歌にひきつがれた。