天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

湯河原と文人(続)

独歩の碑

 昨日掲載の写真の説明を正確にしておこう。また連結写真をやめて分離しておく。独歩の碑についてである。国木田独歩は湯河原に三回保養に訪れたという。それをもとに短編小説をいくつか書いたが、碑には、そのうちの「湯ケ原より」の最後の一節が彫られている。すなわち、

       湯ケ原の渓谷に向った時は さながら
       雲深く分け入る 思があった
 

この一節を撰したのは、吉江孤雁という人で、書は小杉放庵による。昭和十一年初夏に建立された。
 与謝野夫妻が湯河原にきて詠んだ歌も紹介されている。

  光りつつ 沖を行くなり いかばかり
       たのしき夢を 載する白帆ぞ     寛

  吉浜の 真珠の荘の 山ざくら
      島にかさなり 海に乗るかな      晶子


吉浜の真珠荘は、与謝野夫妻がたびたび利用した旅館だった。庭を大島桜が覆っていて、花見時期には、門下の人達を引き連れて来て歌会を催した。従って湯河原関係の短歌は多く詠まれた。
説明板によると、晶子の最後の歌集『白桜集』や法号「白桜院鳳翔晶耀大姉」における「白桜」は、この山桜の花の色という。
 現代の文人では、ミステリー作家の西村京太郎、俳人の黛執 らが湯河原に住んでいる。