天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

フロイスの見方

 ルイス・フロイスが安土・桃山時代の世相や日本人をどう見て日本歴史を書いたかが、この本からよくわかる。キリスト教に帰依した、いわゆるキリシタン大名には、すばらしい人格者として高く評価しているが、キリスト教布教に最大限の援助を惜しまなかった信長や秀吉など時の権力者に関しては、ひどい書き方をしている。


  「しかるに信長は、創造主にして世の贖い主であられるデウス
   にのみ捧げられるべき祭祀と礼拝を横領するほどの途方もなく
   狂気じみた言行と暴挙に及んだので、我らの主なるデウスは、
   彼があの群衆と衆人の参拝を見て味わっていた歓喜が十九日
   以上継続することを許し給うことがなかった。」

この末尾は、ほどなく起こった本能寺の変を差す。


  「・・信長はかねて数年にわたって交戦中の毛利との戦争にも早く
   決着をつけ、その領土を征服しようと望み、身分も低く血統も
   賎しいが、悪賢く、戦争に熟達した羽柴筑前なる人物を、かの地
   に派遣していた。・・」


  「 (明智光秀)その才略、深慮、狡猾さにより、信長の寵愛を
   受けることとなり、・・・彼は裏切りや密会を好み、刑を科する
   に残酷で、独裁的でもあったが、己れを偽装するのに抜け目が
   なく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と
   策謀の達人であった。」


 信長の生前は伴天連たちの布教に協力的であった秀吉は、後に伴天連追放令を出した。そのためか、フロイスは秀吉を主語にするときは、単に「関白」か通常は「暴君」と書いた。
 だが、メキシコ、フリピンなどのように、キリスト教布教と並行して進んだポルトガルやスペインによる植民地化から日本を救ったのは、秀吉や家康などの英知であった。
当然のことにようにフロイスは、キリスト教に対抗するものはすべて邪悪・悪魔として、その歴史書を記述した。
 フロイス『日本史―織田信長編』は、秀吉の出番になってきたが、このへんでいったん本を閉じる。