天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

芭蕉の開眼2

 長谷川櫂著『「奥の細道」をよむ』は、実に血沸き肉踊る内容である。芭蕉開眼の句「古池や蛙とびこむ水の音」の論理で首尾一貫している。そして、先人の研究をいくつも踏まえた上での展開であることも感じられる。長谷川は参考にした先人の業績一覧をあげてはいないが、例えば、堀切実『芭蕉の音風景』(ぺりかん社)には、「奥の細道」を連句的に読む、という章があり、芭蕉の句における音の役割などを論じているので、かなり刺激されたのではないか。
 以下は、かってな感想であるが、長谷川が主張するように、蕉風開眼が、一句に実景と心の世界を読むことであるなら、和歌との関係を思うのだ。つまり芭蕉は、寄物陳思という和歌の構造を俳句にも求めたことになる。切れ字が、実景と心の世界とを結びつけるのである。
長谷川によれば、「古池」が芭蕉の心に浮んだ世界、「蛙とびこむ水の音」が実景、そして切れ字「や」がふたつの世界をつないでいる、ということ。「奥の細道」には、古池型の句がいくつも出てくる。2,3例をあげておく。いずれも上五が心の世界、中七以下が現実の景である。


      あらたうと青葉若葉の日の光
      閑さや岩にしみ入蝉の声
      涼しさやほの三か月の羽黒山
      むざんやな甲の下のきりぎりす