あまりに自由な
分厚い『田中裕明全句集』をリュックに入れて持ち歩き、電車の中で折に触れて読み続けているが、まだ半分ほどにも達していない。それは、俳句にあまりに自由な表現を取り入れていて、立ち止まることが多いためである。意味あいまい、難解など通常の句会では批判が出そうである。今日目を通したページの範囲でも以下のような面白い句が出てきた。
大勢で風呂より出たる蛇の衣
*田舎の温泉にでも大勢で入って出てきたら、石垣に
でも蛇の脱け殻がかかっていた、という情景であろう。
二句目で切れるのだが、「出たる」と連体形のなので
蛇の衣が風呂から出てきたか? と思ってしまう。
竹皮を脱ぎて小さな女の子
*まさかかぐや姫を詠んだわけではあるまい。
物語では、翁が光る竹を切ったら小さな女の子が
出てきたのだから。竹皮を脱いだのは女の子、
という作りになっている。意味不明、情景不明。
読者の想像にまかせている。
鳥雲にもう青年でなき人と
*「鳥雲に」は春の季語。座五で言いさしになって
いるが、例えば、出会った、とかいっしょに旅をした、
とか、いかようにも想像できる。
ペン持ちてから考へて囀れる
*考える行為と囀る行為とが関係あるような作りに
なっている。何かを書こうとしてペンをとり考えて
いたら、外では春の鳥たちの明るい鳴声がする、
という情景。つまり、二句目で切れが入るのだ。
帰国とは刈田に遠く虹を見て
*散文の感覚からすると、初五の結論がはぐらかされ
ている。が、これが詩の作りである。
私塾とは木の間の水の澄みにけり
*これも同様、初五の行方が消えている。初五で切れ
ている。つまり、私塾とは何だろうと考えている。
林間を散策しながら。