山崎方代は、鎌倉の手広に昭和四十七年から昭和六十年に没するまで住んだ。
ここらあたりは相州鎌倉郡字手広草庵の
札下げて籠りたり
藤づるの畚(もっこ)に乗って湘南のむらがる
花の春にあいたり
めずらしく晴れたる冬の朝なり手広の富士に
おいとま申す
次の歌の碑が、瑞泉寺門前にある。平成三年九月、山崎方代を語り継ぐ会が建てた。
手のひらに豆腐をのせていそいそといつもの角を曲りて帰る
放浪歌人として、鎌倉では最も人気があり、雑誌「方代研究」が発行されている。瑞泉寺の住職で歌人の大下一真和尚が編集人である。