歌人たちの鎌倉6
吉野秀雄は、昭和六年、鎌倉に永住すべく小町に転入してきた。昭和十一年に鎌倉短歌会をおこし、戦後には鎌倉アカデミア文学部の教授を四年間、廃校まで勤めた。昭和四十二年、六十五歳で逝去、瑞泉寺に墓がある。次の歌の碑が門前左側に立つ。昭和43年建立。
死をいとい生をもおそれ人間のゆれ定まらぬこころ知るのみ
瑞泉寺を詠んだ歌を二首あげておく。
鎌倉の一月の谷戸入り来れば青羊歯群に散るもみぢ見ゆ
水仙の林間に鶏らあさり居て花を浮き出でとさか揺れ立つ
川田順は、鎌倉に住む実妹をたびたび訪ねて、次のような歌も詠んでいる。
鎌倉に老いをやしなふいもうとは耳うとくなりて幼顔なる
妹の家の路にて通りながら阿仏尼の墓はいまだ拝まず
高時の墓とぶらひてゆくりなくよき梅見たり鎌倉の山