短歌と詞書とのコラボ(3)
ところで、先の凡兆の句は、よく知られているように俳諧七部集の内「猿蓑集 巻之五」」の歌仙冒頭である。
その次には、
あつしあつしと門々の声 (芭蕉)
とつづく。岡井の一連では、これに対して
植ゑられるものを臓器と呼びたくはない いそなみ磯波の洗ふ血の
藻の
と詠まれている。
岡井の歌は、臓器移植をテーマにしている。人工臓器もあろうが、磯波に洗われる血の色の海藻が臓器をメージする。上句は、外から移植するものは臓器と呼びたくない、という岡井の思いであろう。世界中で流行している臓器移植の状況に対する反感である。ここで芭蕉の句「あつしあつし」に繋がる。暑い暑いと言いながら町家の門口で夕涼みしている情景を、過熱気味の臓器移植に対する思いに転換したのである。
「猿蓑 夏の月の巻」の句の続きを一旦切って、間に「佐夜中山集」の句と岡井の歌の対を入れたのは何故であろう。それは、紛争のテーマと臓器移植のテーマとを区分したかったからであろう。