戦中・食の歌
斎藤茂吉の食に関する歌に惹かれる。なかでも鰻の歌はつとに有名。今回は、太平洋戦争時に詠んだ食の歌を、歌集『小園』(短歌新聞社文庫版)から拾ってみる。この歌集には、昭和十八年から昭和二十一年までの歌、八百四十三首が収められている。うち、食に関する歌は五十七首ほどある。特に心に響くものをできるかぎりあげてみよう。
備後なる山の峡よりおくりこし醤(ひしほ)を愛でて
いのちを延べむ
配給をうけし蕨のみじかきをおしいただかむばかりにしたり
狭霧(さぎり)たつ山にし居ればおのがためきのふも今日も米を
いたはる
しづかなる生のまにまにゆふぐれのひと時かかり唐辛子煮ぬ
かぐはしみ吾にも食へと蕗の薹あまつ光に萌えいづらむか
にひ年にあたりて友がわがために白き餅(もちひ)をひそませ
持ち来
少しばかり隠して持てる氷砂糖も爆撃にあはば燃えてちり飛べ
これまでに吾に食はれし鰻らは仏となりてかがゆふらむか
いかにしてわれ食はむかとおもひ居り目ざむるばかり赤き
トマトを
やうやくに晴れたる山のゆふまぐれからびてゐたる茄子を
煮にけり
くだりゆかむ娘のためにいささかの紅茶を沸かすわが心から
味噌樽のあきたるをけふつつがなく山形あがたへ送らむとする
小さき鯉煮てくひしかば一時ののちには眼かがやくものを
診察の謝礼にもらひし鶏卵を朝がれひのとき十右衛門と食ふ
わたつみの海よりのぼり来し鮭を今ぞわが食ぶ君がなさけに
颱風の遠過ぎゆきしゆふまぐれ甘薯のつるをひでて食ひつも
雪つもるけふの夕をつつましくあぶらに揚げし干柿いくつ
斉藤茂吉一家は、経営する青山脳病院が大正十三年に火事で全焼し、借金して再建したとはいえ、昭和十年代後半にはもとどおりになっていて、世の一般の勤め人の家族よりは、はるかに良い暮らし向きにあった。今風にいえば、セレブに属していた。ただ、茂吉の食の歌は、大変つつましやかであり、少しも驕りがない。どんなものでもありがたく食する。しかもいかにも美味そうに感じられる。歌集『小園』についてではないが、同様のことは小池光さんがどこかに書いていたと記憶する。
なお以上の内容は、先週、兵庫県三田に出張した際に携えた『小園』を読みながら得た感想をまとめたもの。