橋
『古事記』に、
「・・・二柱の神、天の浮橋に立たして、其の沼矛を指し下ろして画きたまへば、・・・」
と出てくるので、大昔から、橋という言葉と概念は存在した。
古今和歌集の恋の部・作者未詳の次の歌
さむしろに衣かたしき今宵もや我を松覧
(まつらむ)宇治の橋姫
はどのように解釈するだろうか。わが不明をさらすことになるが、時代劇に影響を受けたせいか、以前、これは平安時代の売春婦の歌だろうと思っていた。手拭を頭に被り、片端を口に咥え茣蓙を抱えて、宵のうちから橋のたもとで男を誘惑する情景を想像したのだ。
とんでもない。橋の原義を白川静『字統』で調べてみると、「橋」は「喬」に通じ、これは高楼の上に呪飾としての表木をたてて、神を招く意の文字という。山岸にかけ渡したものが高橋であり、これは神の遊ぶところともされた。橋姫は橋を守る女神なのである。
特に宇治橋についていう。上の古今和歌集の歌は、この橋姫との恋を詠っているのである。まあそれにしても誤解を招きやすい詠みかたではある。
小墾田(をはりだ)の板田の橋の壊(こぼ)れなば桁より
行かむな恋ひそ吾妹(わぎも) 万葉集・作者未詳
わかれ路は渡せるはしもなきものをいかでか常に恋ひ
わたるべき 源 順
うたがはしほかにわたせるふみみればここやとだえに
ならんとすらん 藤原道綱母
大井河はるかにみゆる橋の上に行く人すこし雨の夕ぐれ
藤原為兼
浪の音に宇治の里人よるさへや寝てもあやふき夢のうきはし
藤原定家
春の夜の夢のうきはしとだえして嶺に別るるよこぐものそら
藤原定家
人も馬も渡らぬときの橋の景まこと純粋に橋かかり居る
斎藤 史
おのづから孤独の貌をもてるもの運河の橋を犬渡りくる
尾崎左永子
胸びれのはつか重たき秋の日や橋の上にて逢はな おとうと
水原紫苑