天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鑑賞の文学 ―俳句篇(18)―

風生の肖像

     みちのくの伊達の郡の春田かな    富安風生『草の花』


 みちのく、伊達郡、春田 と地形を大から小にクローズアップしていく詠み方であり、「の」の連続によりリズム感のすぐれた作品になっている。
この句に出て来る「みちのくの伊達の郡」とは、福島県伊達市にあたる。伊達市は、平成18年1月1日、伊達郡の伊達町、梁川町保原町霊山町月舘町が合併して誕生した。
東電福島原発から北西に約55キロのところに位置し、部分的に原発事故の影響が懸念されている地域のひとつである。テレビで見て現在でものどかな農村の風景に、放射能ホットスポットが現れようとは、この句が作られた昭和の初めでは、想像すらできなかった。
 富安風生は、明治十八年生れ。大正七年に俳句を始め、高浜虚子の指導を受けた。東大法科卒、逓信省に入り、逓信次官にまで至った。昭和五十四年に逝去、95歳。その俳風は、温和で中道をゆくものであった。いくつか例をあげよう。


     よろこべばしきりに落つる木の実かな
     まさをなる空よりしだれざくらかな
     一生の楽しきころのソーダ
     きちきちといはねばとべぬあはれなり
     蓮枯るるすべて終るといふ相(すがた)


[追伸] 遠景から近景へ、大から小へとクローズアップし、「の」を連ねてリズミカルに詠む技法は、短歌に馴染んだ読者には珍しくない。次の有名歌を知っているからである。

  ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲
                 佐佐木信綱新月

この歌は、風生の俳句に二十年くらい先んじて作られている。もしかしたら、風生は信綱に学んだのかも。