鑑賞の文学 ―俳句篇(20)―
先づ頼む椎の木もあり夏木立 芭蕉〈猿蓑〉元禄三年
[虚子]・・・食物にこまれば椎の実を拾って食えばいい。先ず何よりも
頼りとする椎の樹もある、その辺一面の夏木立の中に、という
のである。(『幻住庵記』の一節をひきながら)・・・言う事、
為すことが凡てそのまま心にかなって悟りの奥に達したのは
この頃であろうと思う。
・・・幻住庵時代の芭蕉は最も研究に値するものがある。
[誓子]・・・
この句は『幻住庵記』の文を結ぶ句である。・・・文中に
「鳰の浮巣の流とどまるべき芦の一本の陰たのもしく」とある
を読むと、「先たのむ椎の木」がわかる。「椎の木」は、たより
なき芭蕉がたどり着いてとどまる木陰であったのだ。
・・・幻住庵を頭に描くと、この句の「夏木立」は畢竟「幻住庵」
である。椎の木は椎の木にちがいないが、その椎の木を通して幻住庵
を頼りとしていることがわかる。
[楸邨]・・・「幻住庵記」と続けて解してみることが大切と思う。・・・
この椎の木の大きく覆うた庵に入って、何はともあれ、ほっと
した気分になった、その心から「先ず頼む椎の木もあり」と
発想されたものである。「先ず頼む」は、単に炎熱を避ける
木陰として感じられたりしただけのものではない。それは、
「いづれか幻の栖ならずや」というような「先ず頼む」ところ
の栖でなくてはならない。「いづれか幻の栖ならずやとおもひ
捨て」る心が、人生と人の世の肯定に、しばらく落ち着こうと
する気息を言い留めているのである。・・・「夏木立」は
あたり一面の夏の樹木で、椎の木はその中の一本なのか、椎の
木が夏木立として「まづ頼む」に足るものなのか、という疑問
を呼ぶが、やはり後者の方が幻住庵を生かすと思うので、
それを採る。
幻住庵は滋賀県大津市国分2―5にあった。奥の細道の旅を終えた芭蕉が、門人の菅沼曲水の奨めで元禄3年4月6日から7月23日の約4ヶ月間滞在した近津尾神社境内の小庵である。ここで芭蕉は、『幻住庵記』を書いた。楸邨の鑑賞、最終部分で椎の木が一本か木立をなすほどなのか、疑問を呈しているが、これは余計なことと思う。木立の中に椎の木もある、というのだから何本かあると想像するのが普通であろう。植生からして一本しかないと思う方が不自然。以前にこの幻住庵跡を訪ねたことがあり、この句が懐かしい。
右上の画像は、瀬田川流域観光協会のHPから借用、トリミングしたもの。