天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

木下杢太郎

伊東にて

 JR伊東駅から徒歩5分ほどのところに、木下杢太郎の生家が記念館として残されている。
伊東市内に現存する最古の民家という。周知のように、木下杢太郎(本名太田正雄。明治18年 ―昭和20年)は、皮膚科の医学者にして、詩人、劇作家、翻訳家、美術史・切支丹史研究家。東大や東北大の医学部の教授を歴任した。フランスからは、医学上の貢献に対してレジョン・ドヌール勲章を受けた。こうした生涯の概略を、記念館の人が説明してくれる。なお、筆名の杢太郎は、「樹下に瞑想または感嘆する愚かなる農夫の息子」という意味らしい。
 市内を流れる松川沿いに杢太郎の絵や詩が碑になって紹介されている。珍しい俳句の例を次にあげておく。

     行く水におくれて淀む花の屑    杢太郎
     湯壺より鮎つる見えて日てり雨   杢太郎


 八月の一日を泊りがけで伊東に遊んだ。夜は松川河口に揚がる花火を楽しんだ。


     湯の町の宿に燕の出入かな
     鬼灯や葱南描きし絵の前に
     蝉時雨ふたりして入る露天風呂
     松川の河口に揚がる花火かな
     開きたる後に音聞く花火かな
     朝露に菅笠かむり露天風呂


  蝉声の松川縁をゆくほどに杢太郎の絵や詩(うた)に会ひたり