天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

短歌人10月東京歌会

参考: 結社誌

 十月の会場は、池袋にある生活産業プラザであった。今回は私にとって珍しい偶然が起きた。詠草は無記名でプリントされ、参加者が順番に詠草を読んで批評してゆき、歌会の最後に各詠草の作者が発表される。偶然とは、小池光さんの歌を私が批評し、私の歌を小池さんが批評することになったのである。勿論、各詠草については、参加者が自由に意見を言う時間があるので、いろいろな意見が出る。以下では、私の批評と小池さんの批評の部分を要約して紹介しよう。


小池光さんの詠草:
  日高屋のレバニラ定食六百五十円親のかたきを食ふごとく食ふ
[私の批評]
二か所気になるところあり。三句目が大幅な字余りである点と下句の
「かたきを食ふ」という言い方。三句の字余りは、実際にその値段だ
ったので了解する。下句の部分は、「かたきをとる」と言うのが自然。
全体の解釈は、日高屋のレバニラ定食が大変旨かった。親も食べた
ことがないくらいに旨かった。それで親の分まで食べる勢いでレバニラ
定食を食べた。そういう状況を詠ったもの。下句を「かたきをとるごとく
食ふ」とすればよく分かる。


私の詠草:
  光速を越える素粒子あるかもよアインシュタインは舌出してをり
[小池さんの批評]
ニュートリノの速度計測実験で光速を越えるというデータが得られた
というニュースを踏まえている。真実かどうかの検証はこれからだが、
アインシュタイン相対性理論の根底を崩す話であり、アインシュ
タインにとっては深刻な事態。従って結句は「舌ひっこめる」という
べきではないか。とはいうもののこの作品は、雄大な話であり技能賞
か敢闘賞に値する。


 小池さんに誉められたのは、久しぶりであった。そのせいか帰宅して飲んだウィスキーの
量が度を越してしまった。