天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鑑賞の文学 ―俳句篇(28)―

春秋社刊

     五月雨をあつめて早し最上川    芭蕉奥の細道


高浜虚子
  ・・・広い国原に降る五月雨をこの最上川だけに集めているような
  感じがするところにこの句の強味があるのである。


山口誓子]
  ・・・もとより最上川さみだれを集め、みずから流速を増した
  のである。その最上川を見る者は芭蕉である。芭蕉は岸辺にあって
  もよく、舟中にあってもよい。要は作者がその流水と同化し、
  その流水とともにみずからも流れていればよいのである。・・・
  茂吉は歌集『白き山』の後書に「雪解けで増水した最上川は実に
  雄大であった」と書いているが、芭蕉の句に迫る作はない。
      おほきなる流となればためらはず酒田のうみにそそがむとする


加藤楸邨
  ・・・『随行日記』によれば、歌仙興業は元禄二年五月二十九・
  三十日、最上川下りは六月三日。したがって、「涼し」の形が
  初案で、二十九日大石田における歌仙興業の発句としてこれを
  用いたが、後六月三日、最上川を川舟で下るに及んで「早し」
  と改め、それにふさわしく、『奥の細道』では最上川下りの作
  として位置づけたものである。


* 山口誓子は、和歌と俳句の間の本歌取りの関係をよく調べている。
  例えば、西行の歌と芭蕉の俳句の関係がある。ここの例では、
  芭蕉の句に対して斎藤茂吉の短歌を引き合いに出しているが、
  歌集『白き山』から最上川ということで引き合いに出すなら、
  次の名歌にすべきであろう。これなら芭蕉の句に勝るとも劣
  らない。

      最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも