天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鑑賞の文学 ―短歌篇(33)―

講談社文芸文庫

 塚本邦雄西行百首』(講談社文芸文庫)を読み終った。裏表紙に書かれている一文から、本の内容を紹介している箇所を引用する。


  「西行嫌いを公言して憚らなかった塚本が、晩年に至って、渾身
   の力と愛憎を込めて宿敵・西行に闘いを挑んだ快著。高名な歌
   を情け容赦なく切り捨てる一方、知られざる名歌に眩い光を
   あてる・・・」


 塚本は西行のどこを嫌ったのか? 西行の性情・行動と歌の内容との矛盾が気に食わなかった点であろう。出家しあちらこちらに庵を結び、各地に旅をした僧侶であったが、時の権力者と親交があり、歌の面では、勅撰集に載せてもらうべく選者に盛んに働きかける強い名誉欲を持っていた。つまり後世に名を残したい欲望を持っていた。新古今集の三夕の内の一首「心なき身にも・・」などという歌は、まるで西行の実情と違うのである。また「願わくば花の下にて・・」と詠んで、まさにそのとおりに死んでみせた、などパフォーマンスが過ぎると言える。これらの歌は、西行の思惑通り、後世に評判となり、西行の代表歌となった。塚本は、そんなところをひどく嫌った。西行の歌の良さは、そういうものではない、として塚本自身が名歌を選んで見せたのである。
西行百首』から、塚本が優れた歌と高く評価した例を、以下にいくつかあげよう。


  ほととぎす深き峯より出でにけり外山の裾にこゑの落ちくる
  あはれいかに草葉の露のこぼるらん秋風立ちぬ宮城野のはら
  きりぎりす夜寒に秋のなるままに弱るか聲の遠ざかりゆく
  津の國の難波の春は夢なれや蘆の枯葉に風わたるなり
  古畑のそばの立つ木にゐる鳩の友呼ぶ聲のすごき夕暮
  蟲の音の弱りはてぬる庭の面に荻の枯葉のおとぞ残れる
  月冴ゆる明石の瀬戸に風吹けば氷の上にたたむ白波
  ほととぎす都へ行かばことづてむ越えおくれたる旅のあはれを
  おなじくは月のをり咲け山ざくら花見るよはのたえまあらせじ
  よしの山こずゑの花を見し日よりこころは身にもそはずなりにき
  露のぼる蘆の若葉に月冴えて秋をあらそふ難波江の浦
  三笠山春を音にて知らせけり氷をたたく鶯の瀧
  都にて月をあはれと思ひしは数にもあらぬすさびなりけり


 『西行百首』の文章には、『西行物語絵巻』などの文語文も引用されていて、読者を魅了する。なお、塚本邦雄に師事した島内景二の解説も興味深い。