天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

子規を詠む(1)

切手の子規

 子規は35歳で亡くなった。その短い生涯で現代の短歌と俳句の先駈けをなした。病床にあっても意欲は衰えなかった。明治維新以後、日本の政治・経済・文化のすべての面で革新の気風がみなぎっていた。特に地方の若者たちのエネルギーはすばらしかった。子規は22歳の時に結核にかかり、文筆で身を立てることを決心する。そして革新の矛先を和歌・俳諧の分野に定めて、以後死ぬまでの13年間、精力を集中したのであった。


  傍に竹鳴りながら碑文(いしぶみ)を読みてをり子規居士
  の墓にて              遠山光


  正岡子規まさめに見たる人々をわれは羨むしみじみとして
                    五味保義
  心しづまりわが来り立つ子規の墓「竹乃里歌」校了の二日
  後(ふつかのち)           五味保義


  明治二十六年この古口に宿りたる子規をぞ思ふ若かりし子規
                    五味保義
  うまきもの食ひて生き抜きし子規のごと鰻むさぼり食ふ
  夢の醒む              伊藤 保


  二十歳の時より子規を考へて五十年つひに結論はなく
                    柴生田 稔