どれも口美し晩夏のジャズ一団 金子兜太
前衛俳句における「詩としての真実」の例である。この句が作られた現場に居合わせた酒井弘司(「海程」創刊同人、「朱夏」主宰)によれば、場所は新宿の喫茶店で、ラテン音楽のバンドを聴いた夜のこと。時期は早春であった。兜太は、先ず「どれも口美し〇〇のジャズ一団」と、もっていった。〇〇を決めかねていた時、ふと晩夏の光を思い出し、そのとんたん、ジャズの人たちの口の赤さがさらに鮮明になる思いにとらわれた。結果、〇〇は晩夏に決まった、という。事実に忠実にするなら、早春とするはずだが、句は弱弱しくなってしまう。