四月の「短歌人」東京歌会
このブログでは、最近は歌会のことをご紹介していないが、今回は先日開催されたの本件のことを書いてみたい。それは顧問・編集委員の人たちの詠草が多く出たからである。引用の便宜上、ABCなどの符号を付けておく。
A 遺伝子の壊れてとべぬ蝶を見す映画「ヒロシマ、そして
フクシマ」 紺野裕子
B 「さくらきれい」とちさき男(を)の子が窓たたき声あぐ春の
街をゆくバス 蒔田さくら子
C たつぷりと試食のサシミあるからにうれしくなりて楊枝
をさしぬ 中地俊夫
D 数学の虜(とりこ)となりし高校時代倉林先生にわれはしたしむ
小池 光
E 端に寄り三輪車の児とすれちがふ桜並木の一本道なり
川田由布子
F 一億総活躍社会の「一億」にねむの木の下(もと)吾はふくまれず
今井千草
A: 上句は映画の中のナレーションにあったのだろう。
ヒロシマそしてフクシマという言葉は放射能被害の象徴になった。
今では世界が共有する言葉。
B: 出されたいくつかのコメントは、「春の街をゆくバス」によって
作者の位置が分らない、ということであった。しかしこれによって
詩になっているのである。作者は詩神の立場にいる。
C: 「サシミ」としたところに、試食することへの照れくささとある世代
を感じさせる。
D: 「数学」が効いている。下句は、現在も先生に親しくしてもらって
いると読める。
E: 結句は、個人的好みでは「ひとすぢの道」としたい。
F: 「一億総活躍社会」は理想である。そうあってほしい。だが、退職者
や家庭の主婦の多くは、「吾はふくまれず」と感じているのが実情である。
この歌はそこをついて共感をよぶ。ただ政治は理想を掲げることが重要。
ところでこの歌会で、最も感嘆したのは、次の詠草。蒔田さくら子さんも「こんな歌を作りたい」と絶賛されていた。他の出席者のコメントは積極的評価でなかったようだが。
つくし摘んで来た摘んで来たつくし夜更けてあをいこなをこぼす
酒井佑子
私は、酒井さんの歌集全3冊(『地上』、『流連』、『矩形の空』)を分析して、かってに「古典短歌の前衛」という評論原稿(未発表)をまとめたが、次に出版される歌集名にはぜひこの歌を反映させてほしい。酒井さんの短歌は韻律が独特だが、読み方に注意すれば心地よいものになる。この歌について、読者諸氏はぜひ読み方を工夫してみて頂きたい。