天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

萩原朔太郎―特別展

鎌倉文学館で購入した小冊子

 先日、短歌人・東京歌会の研究会で、かわすみさとるさんから「萩原朔太郎の短歌(明星とアララギ)」について話を聞いた。興味があったのは、朔太郎は短歌から出発し詩へ向かったこと、短歌には全く個性を発揮できず詩との間に大きなギャップがあること であった。彼が傾倒した北原白秋は短歌でも詩でも成功を納め、ギャップは無かった。研究会でも質問してみたのだが、朔太郎がその詩の感覚を短歌に活かせれば、当時の前衛短歌に成りえた、と思われて残念である。彼の短歌の内容が詩にどのように昇華したかについての分析研究は未だ無い、とのことであった。
 たまたま躑躅かバラを見ようと出かけた鎌倉文学館で、萩原朔太郎の生誕130年特別展に遭遇した。
4月23日から7月10日までの期間である。そこで購入した文学館作成の小冊子『マボロシヲミルヒト』から、あらためて彼の生涯を見返している。朔太郎にはまともな学歴はない。そこここの学校に入学しては落第、退学。住まいも前橋、東京のあちこち、鎌倉など目まぐるしく変った。結婚生活も一定していなかった。それが文学活動の結果、大正時代に近代詩の新しい地平を拓き「日本近代詩の父」と称され、高村光太郎と共に「口語自由詩の確立者」とされる。小説界の太宰治と比較してしまう。


     深緑の谷戸に賑はふ文学館
     文学館バラのかなたに由比ガ浜


  マンドリン、靴、ソフト帽、羽織、ギター 遺品となりて
  展示されたり


  愛読の書や交換の手紙など文学館の地下室に見る
  自らのデザインになる本棚にジイド全集、ニイチェ全集
  マンドリンの腕は上がれど学業は中途半端に悔ひを残せり
  学歴はハチャメチャなるに近代詩の父と呼ばれし朔太郎はも
  囚はれの身を厭ひける朔太郎和歌を逃れて口語自由詩
  美しき妹あれば結婚も長続きせず相手を換ふる
  短歌にて詠はば如何に 名をあげし「月に吠える」は口語
  自由詩


  文学館庭の裸の乙女像ながく見つむる我ならなくに
  のぼるには階段長しはつ夏の甘縄神明神社を見上ぐ