天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

定家卿を訪ふ(1/7)

京都・相国寺にて

 [まえがき]これから7回にわたるこのシリーズの短歌部分は、「短歌人」誌上に、平成25年7月号から平成26年6月号にかけて掲載されたものです。また風景写真は、私自身が現地で撮ってきたものです。


 相国寺を建てたのは、室町幕府3代将軍の足利義満である。一方、藤原定家鎌倉時代の人である。足利義政伊藤若冲の墓が相国寺墓地にあるのは、時代的に矛盾はない。とすれば藤原定家の墓は後の世に相国寺に移されたことになる。ちなみに京都嵯峨の「厭離庵」に定家を祀る塚(後の6/7ページの画像参照)がある。更に上京区花車町の釘抜地蔵にも定家の墓とされる石塔がある。定家卿は80歳まで生きた長寿の歌人であった。


  相国寺墓地入口の左手に定家、義政、若冲ならぶ
  初めて式子内親王に会ひし日は薫物馨香芬馥たりと
  月蒼き夜は定家に出会へるか烏丸通り御所に行く道
  京の餓死者道に満つるをよそに見て初学百首を定家は詠みき
  荘園のあがり確保に四苦八苦そこで雇ひし強面の僧
  宮廷の蔀(しとみ)開け閉め朝夕に出かけてゆけり下級の公家は
  夜中にも院の招きに馳せ参じ疲れ極まる乱痴気騒ぎ
  暗闇に院の牛車の現れて疾走したり夜遊びの果て