天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

定家卿を訪ふ(3/7)

ちくま学芸文庫

 源実朝は和歌を定家に学んだ。定家からは「万葉集」を貰い、万葉調や古今調・新古今調の本歌取りを主とした和歌を作って定家に送って見てもらっていた。その成果が『金槐和歌集』(鎌倉右大臣家集とも)である。
 『明月記』は、周知のように、藤原定家が治承4年(1180年)から嘉禎元年(1235年)までの56年間にわたって書いた日記である。この漢文書き下しの癖の強い文章を現代に読み解いたのが、堀田善衛『定家明月記私抄』(ちくま学芸文庫 右の画像)である。


  実朝の歌にあらはな本歌取り「詠歌口伝」の教へどほりに
  乳母らは時に孕めり皇子たちに夜ごとほどこす性の手ほどき
  『明月記』読めば夜中にうなされて叫び出だすを人知るなゆめ
  宮廷の有職故実のあれこれをこまごま記す定家の日記 
  上皇の呼び出しなれば松明を点して奔る闇の大路を
  実景を見ずとも詠ふ歌枕ことばすがたの艶にやさしく
  荘園を除目代りに約したり定家をおもふ姉のはからひ
  歌詠まず蹴鞠にはげむ為家をたびたび嘆く父は日記に